「個別指導」の長所と短所
「個別」の利点は言うまでもなく「弱点へのピン・ポイント爆撃が可能である」という点です。ツボにはまれば面白いように成績が上がります(こちらの指示に素直に従ってくれれば...の話ですが...)。学校は新しい単元を導入するのですから「一斉授業」が基本です。しかしそこから先は「個別指導」しかありません。「もっと先を教えてよ!」という要望もあれば「もう一度○○の単元を復習したい!」という希望まで、受験生の望みはそれこそ千変万化です。予め分かっている単元の説明をのんびり聞き直している時間的余裕は、現役生諸君にはないはずです。高校受験までならそれでもいいのです。しかし大学受験は浪人生とやり合わなくてはなりません。学部によっても異なりますが、浪人生の全合格者に占める割合は約4割だと言われています。すなわち40%の現役生が、「合格できているはずなのに弾き出される」ということです。一部の難関大学では50%というデータもあるほどです。この数字の持つ意味を受験生諸君はしっかりと噛みしめるべきでしょう。
2つめに格段に違ってくるのは「集中力」です。私の場合、英検2級・準1級の長文は、すべて本人に口頭で和訳させることにしています。訳を書くことは許しませんし、集団授業での「隣の人が答えてくれたから助かった。」という甘えも一切許されません。自分に課された課題はすべて自分で答えを出さなくてはならないのです。いざ入試問題に入ったら最後、いちいち和訳を確認している時間は我々にはありません。あくまで自力で文章を読んでいってもらわないといないのです。細かい文構造のチェックができるのはこの時期だけ...という事情から来る「親心(?)」ですが、これは当初は相当頭が疲れるようです。それまで集団授業でうとうとと「舟を漕いで」いた子が、いきなり「同時通訳」のような真似をさせられるのですから当然です。たった一段落の英文を訳すのにまるまる2時間かかることも珍しくありません。授業が終わるとそれこそ「精根尽き果てた...」という表情で子供たちは帰ってゆきます。しかし日がたつにつれて徐々に読むスピードがアップしてゆくのですから人間の脳とは不思議なものです。集団授業ではどれだけの潜在能力が眠ってしまっているか...ということの証左でしょう。
3つめは演習量の違いです。集団授業はどうしても「解説中心」となりがちです。しかし当然のことながら「分かる」と「できる」は違います。「すごくよく分かった!」と満足げに教室から出てくる生徒さんがいらっしゃいますが、こういったケースが一番危険なのです。これもある生徒さんの例をあげさせていただきます。先日の学校の定期試験で英語は学年1番を取った子です。中3で英検2級を、ボーダーを何と20点もオーバーして合格しました。そこで間髪を入れずに私は準1級に移りました。しかし先日「仮定法が分からない」と言い出しました。もとよりそんなレベルの子ではありません。しかしよく聞くとそういうことではなさそうです。「高1になって授業がそれまでの"演習形式"から"講義形式"に変わった。解説は確かによく分かる。しかし実際に問題を出題されたときできるかどうか不安だ。」というのです。「うわ!そう来たか!」と私も舌を巻いてしまいました。流石にできる子は違います。誰に教えられるともなく「分かる」と「できる」の違いがわかっているのです。個別の場合は解説の時間を最初限度に抑えられるので、その分演習に潤沢な時間を投入できるのです。
4つめは「受験する大学の入試問題に絞って指導が受けられる。」という点です。国立と私立では出題形式はまるで違います。同じ国立でも東大と京大ではこれまた別世界。医学部もまた然り...です。京都大学を受験する人が早稲田大学の問題を解いても、全くとまでは言いませんがほとんど意味はないのです。特に国立大学は記述・論述問題が中心ですから、個別指導を受けないとまったく意味はありません。「模範解答は分かったけど、私の書いた文は何点くらいになるのよ!」ということです。以上が個別のメリットです。
しかし物事「長所」があれば「短所」があります。いい事ばかりではありません。「個別」の弱点とは「わがままになること」です。「振替指導」などその典型です。成績優秀な生徒さんは例外なく、物差しで計ったように「決まった時間」に現れます。振替指導になることはまずありません。一方成績が伸び悩む生徒さんにしばしば見られるのがこの「振替指導の連発」です。よんどころない「冠婚葬祭」や「学校行事」は誰でも必ずあると思います。しかし明らかに回数が多すぎる人がいるのです。勉強に「計画性がない」・「ちょっとした誘惑に負けてしまう」などが成績不振の原因であろうことは想像に難くありません。いかなる理由であろうとも、勉強を中断すれば学力は確実に低下します。「文化祭だったんだから単語力よ落ちないで!」と言っても通用しないということです。
また「依頼心が強くなる」という点も挙げられます。「いざとなったら先生が何とかしてくれる」というやつです。甘えが高じると、一つ一つの単語の意味すら聞いてくるようになります。そんな時は「自分で辞書を引け!この横着者めが!」と一喝することにしています。依頼心が強くならないような意味もこめて茗渓予備校では「1:6までの個別」としてあるのです。これが「1:1」だったら大変なことになっているでしょう。また「こんな難しい文章、訳せないよ!」とゴネる子もいます。できないものなど最初からやらせません。時間の無駄であるからです。個別ですからその子の能力は裏も表も教師は知り尽くしています。「分からない!」では通りません。そういった時は「考えるのが君の仕事でしょ!」と突き放すことにしています。しばらくしてやらせてみると、ちゃんと和訳はできています。早い話が「甘えている」のです。意識するとしないとに拘らず、人間である以上こういった甘えは必ず心に芽生えます。それを意識的に打ち消して勉学に励めるかどうかが分水嶺でしょう。故・村田英雄氏の「姿三四郎」の歌詞ではありませんが、「敵に勝つより自分に勝つ」ということです。こういった精神的ハードルがクリアできないような人は、集団授業の方がいいかもしれません。