「仮定法未来」という信じられないネーミング

If S should V(もし万が一〜したら...)」や「If S were to V(もし仮に〜したら...)」など、「未来の可能性が低い仮定」をこう呼ぶ方がいる。仮定法が何もわかっていない。恥ずかしいことだ。「仮定法未来」など存在しない。するはずもない。無論ラテン語にもギリシャ語にも、そんなものはない......

それは「なぜ時制がずれるのか?」にもどって考えればわかる。「仮定法過去」は「まず手が届か入ないだろうなー!...①」という「気持ち(𝐚𝐬𝐩𝐞𝐜𝐭)」を表し、「仮定法現在」は「ひょっとしたら手が届くかもなー!...②」という気持ちを表す。①と②以外に何が存在するというのか? 仮定法「未来」など、割り込む余地はないのである。

画像 おそらく「これからのこと...」だから「未来」だと思ったのであろうが、繰り返しになるが、仮定法の「時制」は「𝐭𝐢𝐦𝐞とはまったく関係ない」のだ。「仮定法過去は動詞の過去形を用いる...」が「仮定法」の定義なのだから、「仮定法未来」となったら「動詞の未来形」を用いなくてはならなくなる。しかし英語に「未来形の活用」なんて「無い」はずである。従って「仮定法未来」も存在しない。二重の意味で「ありえない」のだ。shouldwereが「過去形」なのだから、これは「仮定法過去」であることくらい中学生でもわかる。
  • I wish it would stop raining soon.
    「(これから)雨が止んでくれればいいのになあ...」
これも「雨が止む」とすれば「これから」だから「仮定法未来」に分類しなくてはならないはずだが、堂々と「仮定法過去」に掲載されているはずだ。

「未来形」なんて無い。ここで受験生諸君は「ぎょっ」とするはずだ。「これから起こることなのに過去形?」と...。そう。確かに時制が2つもズレている。「1つならまだ許せる。しかし2つとは...」と。これは「過去形」⇒「現在形」⇒「未来形」という公式が頭にこびりついているからだ。

すでに書いたが、英語には「未来形なんて無い」のだ。「だってwillがあるじゃないか!」と反論が出るかもしれない。しかし「He will come.」などのwillは「現在における推量(来るだろう)」もしくは「現在における意志(来るつもりだ)」である。ともに「現在形」なのだ。「100%来る」なら「He comes.」「彼は来る」でいいではないか。つまり「未来も現在形の守備範囲」なのだ。

どうしても納得できないのなら教科書巻末の「不規則動詞活用表」を見て欲しい。「原形(=現在形)」と「過去形」はあるが、「未来形」の活用は載っていないはずである。英語の時制は「現在形」と「過去形」の2つしかないのだ。因みにラテン語・ギリシャ語には「未来形」の活用がある。

さてこれで「時・条件の副詞節は未来のことでも現在形」という不可思議なルールの謎も解ける。規則は教えられても理由を教えられている受験生はほとんどいないはずだ。
  • If it is fine tomorrow, we will go on a picnic.
    「明日晴れたらピクニックに行く。」
晴れるのは「明日」のはずだがwillは使っていない。これは「明日は100%晴れる...」「晴れた場合のことしか考えない」からだ。

往来発着(arrive/leave...)の動詞は未来のことでも現在形」という規則も同じである。故に「当機は6:00に成田に到着致します」というアナウンスになる。「ひょっとしたら無事着陸するかもしれません」などといったら乗客は間違いなくパニックになる。

一方「現在進行形で未来のことを表す」というのもある。「She is marrying him next month.(彼女は来月結婚予定だ)」などというものだ。「まだ結婚していないのに現在進行形?」などと思わないことだ。「今現在、すでに着々と準備が進行中だ...」という意味だ。


中学で学習する「if 〜」文は仮定法ではない!
  • If you turn right, we will find the library.
    「右に曲がればその図書館がありますよ。」...①
中学で登場した𝐢𝐟文である。だがこれは「仮定法」ではない。「直説法」である。仮定法と区別して「条件文」と呼んでいる。しかしここでまた受験生諸君は混乱する。「ifがあるのにー! 訳わかんねー!」...と。

では原点にもどって考えよう。「仮定法」は「願い・夢(悪夢も含む)」を込める。一方「直説法」は「事実を淡々と無機的に述べる」だ。例文①は後者に当たる。だから「直説法」なのだ。のっけから「仮定法=𝐢𝐟構文」などという先入観を与えてしまうから、こういった区別もできなくなる。


If it were〜のwereはareの過去形ではない!

画像 「仮定法過去では𝐛𝐞動詞はすべてwereを用いる」というのも不可解なルールだ。「すべてwasでもいいんじゃね?」と思われた方も多かろう。実はここは「wasでは絶対にいけない」のだ。「If it were 〜なんて言ったらびっくりするでしょ? これこそ仮定法なんです!」などと、これまた某大手予備校の先生の本にあった。もう「言いたい放題」だ。日本人の知性の劣化はどこまで進むのだろう。

話をもどす。実は「areの過去形のwere」と、「仮定法過去のwere」とはまったく「赤の他人」なのだ。それどころかこのwereこそ「滅び去った仮定法(接続法)の唯一の生き残り」なのである。古英語ではどちらもwæreウェアレ]と書いた。スペルが同じなので間違えられたのだ。「英語はその歴史的経緯もあり、直説法以外の活用をほとんど全て捨て去ってきた『のっぺらぼう言語』である」と以前書いたのはそういうことだ。しかしこれも「別にwasでもいいんじゃね?」とwasに取って代わられつつある。嘆かわしいことだ。この「were」の滅び去った時、すなわち「仮定法滅亡の時」であろう。


最後に再び...「仮定法現在」

前号で書きそびれたので追記する。「我々は彼がお勘定を払うことを主張した」という文に関して...だ。
  • I insisted that he pay the bill....①<米語>
  • I insisted that he should pay the bill....②<英語>
画像 それぞれアメリカ英語①とイギリス英語②の用法だ。しかしその後の解説がいけない。「shouldが省略されるので原形でもOK」などと解説してある参考書がある。これは完全にアウトだ

元祖は①であって②ではない。英語の方が何だか歴史が古そうに見えるがこれは逆だ。「アメリカ式の方が古い」のだ。これはイギリスからアメリカ大陸に渡った「ピューリタン(清教徒)」たちが、そのまま古い用法を保存していたためで、本国イギリスの方ではその間に古い用法が廃れてしまい、「『〜すべき』だからshouldでもいいんじゃね?」となったということらしい。

こういった例は歴史上ではよく見られる。「カロリング・ルネッサンス」という出来事を、世界史では学習する。フランク王国の「カール大帝」、所謂(いわゆる)「シャルル・マーニュ」がイギリスからヨーク司教の「アルクィン」を招いて文芸の復興に尽力した...というものだ。「フランスよりイギリスの方が進んでいたのか?」と訝(いぶか)しく感じるが、これはゲルマン民族が大陸を蹂躙した(もっともフランク王国自体がそのゲルマン民族の一派なのだが...)ため大陸では古代ローマ帝国の遺産が滅んでしまったが、ブリテン島は難を免れたため古い文化が保存されていた...ということなのだ。「漢字」が本家・中国では滅んでしまい(彼らは今では簡易体しか書けない)、なぜか日本列島にのみ古代の漢字を正確に書ける人々が残っている...というのもその例である。


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