「現在分詞」とくれば次は「過去分詞」だ。過去分詞には謎が多い。まず「過去と何の関係もないのになぜ過去分詞と呼ぶのか?」という謎だ。これはネット上で多くの方が答えておられる。「過去形と形がそっくりだから過去分詞と呼ぶのだー!」と。しかしこれでは答えになっていない。「ではなぜ過去形と過去分詞はそっくりなの?」と、次なる問いが飛んでくるからだ。さらに「現在分詞」は「現在形」とは似ても似つかぬ形をしているが、こちらも「現在分詞」と呼んでいる。この問いに関してネット上では「一方の分詞に『過去』という名前を使ってしまったので、もう一方の分詞は仕方なく『現在』としたのだー!」と言うのだ。ここまで来ると最早「落語」である......


そもそも「英文法」は「ラテン語文法」をもとに作られたものだ。従って英文法学者が勝手に「これは〇〇という名前にでもするか...」などと、「鉛筆なめなめ」決めたものではない。英文法用語がすべてラテン語由来であるのはそのためだ。ギリシャ語の文法用語ですらラテン語で命名されている。古代ギリシャは古代ローマの「学問の師」である。その古代ギリシャ語にしてからがそうなのだ。英文法学者が出る幕など、あろうはずがないのである。これは質問からしてまず間違っている。「過去と過去分詞が似ている」というのがまず「間違い」だ。おそらく質問者の方は英語が余りお得意ではないのだろう。「原形に~edをつける形」を「過去・過去分詞」だと思っているのだ。茗渓の英邁なる受験生諸君なら「え?似てないのもいっぱいあるよ!」と気づかれるだろう。sing-sang-sung(A-B-C型)は3者とも全く違うし、cut-cut-cut(A-A-A型)は3者とも同じ形である。come-came-come(A-B-A型)に至っては、何と現在形(原形)と過去分詞形が同じ形になっている。これのどこが「過去と過去分詞は似ている」のか?

既にJUKENのバック・ナンバーでも書いたことだがこれらはすべて「規則動詞」である。教科書の巻末に「不規則動詞変化表」なるものが掲載されているが、これははっきり「間違い」である。真の「不規則動詞」とは「全く縁もゆかりもないものを過去形として借りてきたもの」を指す。英語で真の「不規則動詞」と呼びうるものは「be」と「go」だけなのだ。「規則動詞」でも~edを付けるものを「変化動詞」、それ以外を「変化動詞」と呼ぶ。変化にちゃんと「規則性」があるからだ。手元にある「古英語入門」を紐解くと、この時代(千年以上前)からすでに英語は「強変化」と「弱変化」の双方の動詞を持っていたことがわかる。古英語ということは「ドイツ語」ということだからドイツ語の影響であろうが、ラテン語・ギリシャ語には見られない特色だ。だがこの時代の「弱変化動詞」を調べても、「過去」と「過去分詞」は似ていない。

結論から言えば過去形と過去分詞は(現在形と現在分詞もそうだが...)「似ていない」。「似ているはずがない」し「似ていてはいけない」のだ。既に書いたが「分詞」というのは、分類学上は「形容詞」である。従って「形容詞」に似ていなくてはならないはずだ。実際ラテン語でもギリシャ語でも、分詞は形容詞に準ずる形と曲用(格変化)を持っている。しかし英語では古英語の時代、すでに「形容詞との縁(えにし)」が途切れてしまっているのである。ではどうしてwash-washed-washed~ed型)などといった形が生まれたのか。ここからは筆者の推測でありその根拠は後述するが、簡単に言えば「過去形と過去分詞はもともと似たようなニュアンスをもっていた」からだ。従って「まあ、同じ形でいいんじゃね?」となったのだと推察する。「形容詞との縁」が断たれた過去分詞としては、「動詞(過去形)」にすり寄る他なかったのだろう。離婚した女性が実家に身を寄せた...とでも言えようか...。また「強変化動詞」も徐々にこれに倣い「弱変化(~ed型)」にシフトしていったようだ(現在もしつつある)。ただ「使用頻度の高い動詞」、つまり「日常的によく使われる動詞」はなかなかシフトがうまくいかず、「強変化」のまましぶとく残り続けた。所謂「不規則動詞変化表」に掲載された動詞はこの範疇に属する。だがこのことはむしろ幸いであろう。たまにしかお目にかからない動詞が「強変化」されては、それこそなかなか覚えられない。逆にこの「変化表」を一旦暗記してしまえば、その後「動詞の変化」に悩まされることはない。一方「現在分詞はどうして現在形に似ていないのか?」だが、古英語の現在分詞は-ende[エンデ]と言う形であった。これは形容詞の活用語尾である。ラテン語の現在分詞・形容詞も-ens / -entis[エンス/エンティス]という酷似した形を取る。「分詞=形容詞」のセオリー通りだ。しかし途中から「動名詞」と組んでしまったが故に〜ingに併合されてしまった。「進行形はヘブライ語起源(8月号)」に述べた通りだ。

我々は、「言語は単純なものから長い時間をかけて徐々に複雑なものに進化してきた」と、当たり前のように考えている。しかし事実は「逆」である。言語はどんどん「退化」しているのだ。「現在分詞が動名詞と合体」し、「過去形と過去分詞が合体」したのもその「統廃合」の例である。古代語になればなるほど「複雑」で「精緻」になってゆく。そして「最も劣化した言語」が「英語」なのだ(であればこそ世界中で使われている...とも言えるが)。地層をどんどん掘っていったら、古い地層になればなるほど高度な文明の遺物が出てきた...というようなものだ。実際考古学などではそういったことがしばしばある。クラウンの教科書にも載った所謂「オーパーツ<out-of-place-artifacts>「場違いな工芸品」(そこにあるはずのない物・あってはならない物)」だが、言語の世界にもそれは存在する。

では最初にもどって「過去形と過去分詞はもともと似たような意味をもっていたから」と筆者が考える理由を述べる。これにはラテン語の「分詞」が参考となる(ギリシャ語では1つの動詞から何と396通りもの「分詞」が生ずるので参考にはならない)。amo - amare[アモー/ァマーレ]「愛する」で説明する。

能動 受動
現在分詞 amans - aamantis... ③存在せず
(英語ではbeing ppで表現)
過去分詞 ②存在せず
(英語ではfallen leavesなど)
amatus - amata - amatum
註)英語の「過去分詞」をラテン語では「完了分詞」と呼ぶ。ラテン語では「現在完了」と「過去」の区別が無く、「完了」として一括りにされている。

現在分詞は能動しか存在せず(現在形能動分詞)、過去分詞(完了分詞)は受動しか存在しない(完了形受動分詞)。あとは「未来分詞」というものがあり、こちらは「能動」「受動」の双方があるのだが、話が拡散するのもまずいので割愛した。「過去(≒完了)」は「受動」と意味的に抜き差し難く結びついている。「もう結果が出てしまったこと(過去)」は「どうしようもない」。従って傍観、あるいは甘受するしかない。ここから「受動」の感覚が生まれた。「現在分詞」はその逆だ。「進行中・継続中」だ。「まだ結果は出ていない」のだ。だとすればこれから努力すれば結果を変えられるかも知れない。ここから「能動」の意味が生まれる。

次に下の表を見て欲しい。今度は英語である。

能動 受動
現在分詞 ①~している
[進行中]
②~するような
[能動]
過去分詞 ③~してしまった
[完了]
④~されている・
されるような[受動]

過去分詞にはご存知のように「完了」と「受動」の2つの意味がある。であればこそ「現在完了」にも「受動態」にも過去分詞が登場する。「完了」と「受動」が結びつくのはこのような理由による。『ギリシャ語文法(シャルル・ギロー著)』には「完了はその本質からして中動態・受動態的意味を内包していた...」とあるし、『古典ギリシャ語文典(マルチン・チェシュコ著)』にも「完了から受動態が生まれた...」とある。


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