New Treasure Stage3でこの2つが早速登場する。完全に大学入試の範囲である。中3で学習しなくてはならない子供たちは災難だ。同情を禁じ得ない。しかしただ手を拱(こまね)いているわけにもゆかず、理解の一助になれば...との思いでこの章を書いた。まず整理すると以下のようになる......


もし~ならば ~かどうか ~であろうとなかろうと
if ※使用制限あり ×
whether ×

まずはwhetherだ。何ともいやーなスペルをしている。weather「天気」と何度も間違える。これは全ての単語に言えることだが、知らない単語を見てすぐに戦意喪失し辞書を引いてはならない。単語には必ず「語源」というものがある。まずそれを探るのだ。それが暗記の一助にもなる。コツは簡単。「マグロの解体ショー」である。まず頭と尻尾を切り落とす。あまり美味しくない(検討しても意味がない)からだ。すると本体が現れる。こちらは旨(うま)い。しっかり味わえばどんな意味かが類推できる。もともと原初の人類の文字は3文字(子音)だったと言われている。それが「接頭辞」や「接尾辞」「母音」などがくっついて、今のように長い単語ができあがった。その「原初の形」を最もよく保存しているのが「古代ヘブライ語」である。従って辞書を引く際は、そのまま引いても載っていない。前後の部分を切り落とし、母音記号(これはさしずめ『鱗』か?)をそぎ落としてこの3文字を突き止めることからすべてが始まる。この摩訶不思議な言語についてはいずれ書く。

さて閑話休題。まずはwhetherである。wh-で始まっている。「あ!」と気づいた方は流石である。そう。「疑問詞」だ。who / what / where / whenなどの仲間なのだ。そして残ったetheriを入れればeitherとなる。either A or B「AとBのどちらか」のeitherだ。その疑問形がwhetherなのである。従ってwhether A or Bで「AとB、どちらであるのか」ほどの意味となる。「どっちなのか<whether>」⇒「どっちかだよ<either>」という繋がりだ。同様の関係はwhat「何?」⇒that「それだ」 / where「どこ?」⇒there「そこだ」 / when「いつ?」⇒then「その時だ」と、枚挙に暇がない。他の疑問詞との相違は「間接疑問文でのみ用いられ、独立文で使われることはない」という点だ。さてこの「~かどうか」をさらに拡大解釈すれば「~かどうかに拘わらず⋯」となる。eitherも「どちらか」に加えて「どちらでも」anythingも「何か」に加えて「何でも」の意味をもつ。

次はifだ。「もし~なら」が何故「~かどうか」の意味になるのか? まずはwhen(いつ⇒~の時)で考えよう。「いつ来るの?」⇒「いつ来るのか」⇒「来る時刻」⇒「来るとき」と繋がる。一方ifは「もし来ればor来なければ」⇒「来訪の成否」⇒「来るかどうか」となる。ギリシャ語でifはει[エイ]と言うが、既に「もし」と「~かどうか」両方の意味を持つ。両者の結びつきは紀元前にまで遡る。

次は両者とも使用可能な「~かどうか」に於いて、何故ifに「使用制限」があるのか?だ。そこでwhetherが使えてifが使えない例2つを検討してみる。すると理由が浮かび上がる。
  1. Whether he will come or not is not certain.
    「彼が来るかどうか不明だ」[主語]
  2. Our success depends on whether they will help us.
    「成功は彼らの協力次第だ」[前置詞の目的語]
答えは明らかであろう。「主語」にも「前置詞の目的語」にもなれるもの。それは「名詞」である。whether S + Vはれっきとした「名詞節」だからその資格がある。だがifはまだまだ「もし~なら」という「副詞節」としてのイメージが堅固なので、使用する際どうしても「拒絶」されてしまうのだ。だがこの「差別」も近年徐々に緩和されつつあるようだ。

ではそもそも何故whetherがすんなり「名詞節」として認められ、ifは「副詞節」としてのイメージを払拭(ふっしょく)できないのか? それは両者の品詞の違いに由来する。whetherは既に書いた通り、もとは「疑問詞」だ。後ろにSVをつけて「名詞節」を形成できる。~ where he livesなら「彼がどこに住んでいるのか」⇒「彼の住所」といった具合だ。明らかに「名詞」の役割だ。しかしifは「接続詞」だ。いくらSVをつけても「名詞節」にはなれない。because S + Vunless S + Vも同様だ。「that S + V(~すること)」があるじゃないか!」との声も聞かれよう。だがこのthatは接続詞ではない。辞書では一応「接続詞扱い」になってはいるが、もとは「冠詞=the」である。thatは古英語ではtheの「中性変化(単数・主格・対格<目的格>)」なのだ。古代ギリシャ語では冠詞は後ろの「語」のみならず、「節(S+V)」をも「名詞化」できる。故に「主語」になれるのだ。しかし英語にはそんな用法は存在しない故「接続詞ですよ!」と言うしかないのだ。同じ「従位接続詞」でもthatだけは「名詞節を形成できる」という「奇異な特性」の理由もそこにある。

ではその他の「if=×」の例を書く。
  1. They haven't decided whether to get married.[whether to do=〇/if to do=×]
    「結婚すべきかどうか決めていない」⇒if to doは不可。「接続詞+to do」など聞いたことがない。
  2. The question is whether the man can be trusted.[SVCのCになる場合]
    「問題は、彼が信頼できるかどうかだ」⇒副詞はCになれない(なれるケースも皆無ではないが⋯)。
ただI don't know whether he will turn up.[SVOのOになる場合]「彼が現れるかどうか分からない」では、「副詞はOにもなれない」はずだがこの文はifでもOKとされる。何故か?それは「I know + 名詞節」という形が余りに定着しきっている為、ifでも誤解を招かないから⋯と考えられる。これについてはある大学の先生の興味深い研究が参考になる。「ifがOKのケースはthatが省略できるケースと奇妙な一致を見せる」というものだ。例を挙げよう。

  1. I know (that) he is honest.
    「私は彼が正直だということを知っている」
  2. I don't know if (=whether) he is honest.
    「私には彼が正直かどうか分からない」
(3)のthatは省略できる故、同じ構造の(4)はifでもOKだ⋯というのだ。thatが省略できるのは「後ろに名詞の塊(名詞節)が来ることが明らか」であるからで、従ってifを使っても「名詞節だ!」と解釈してもらえる⋯と言うのだ。筆者の考えと基本的には同じであり、大いに意を強くしたことであった。

「竹ココププタター」は誤訳

紙面が余ったこともあるし、固い話が続いたのでちょっと頭を休めよう。「タイムマシン」や「どこでもドア」と並んでドラえもんの「三種の神器(じんぎ)」とされる「竹コプター」。だがこのネーミング、etymology[エティモロジー]「語源学」的には少しおかしいのだ。helicopter「ヘリコプター」のパロデイーであろうが「ヘリコプター」は分解すれば、「ヘリ・コプター」ではなく「ヘリコ・プター」だからだ。「ヘリコ」は'ελιξ[ヘリックス]-'ελικος[ヘリコス]で「螺旋(らせん)」。double-helix「ダブル・ヘリックス」と言えばDNAの「二重螺旋構造」だ。一方「プター」はπτερυξ[プテリュクス]-πτερυκος[プテリュコス]で「翼」。有名なところでは翼竜「プテラノドン<pteranodon>」があげられる(ただし英語ではpは黙字とされ、発音は[テラノゥドン]となる)。「翼はあっても歯は無い」というヘンテコな意味だ。従って「螺旋の翼」ならぬ「竹の翼」の意味で名付けるのであれば、「竹プター」が正しい。しかしこれではいかにもしょぼい。しょぼすぎる。筆者も「竹コプター」でいいと思う。尚、天皇家において「皇位継承の証(あかし)」とされる「三種の神器」だが、「天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)」「八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)」「八咫鏡(やたのかがみ)」を指す。日本人なら最低限、「言える」ようにはしておくべきだろう


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