茗渓予備校通信KIRI

2007年12月号

外国語で「書く」ということ

最近、母語ではない言語で書かれた小説を2冊読みました。

ひとつは、ヒネル・サレーム Hiner Salem の『父さんの銃』(Le Fusil de mon pere)です。著者は、イラク生まれのクルド人で、現在、フランスを拠点に活躍中の映画監督です。この小説は、サレームが故郷クルディスタンで過ごした幼少年時代を亡命先のフランス語でつづった自伝的物語で、フセイン政権崩壊後の2004年、パリのスイユ社から出版されました。

人口3500万人を越えるクルド人は、イラク、シリア、イラン、トルコ、アルメニアなどに分断された地域に住み、祖国なき世界最大の民ともいわれています。先日もクルド労働党の本部がトルコ空軍に攻撃されたという報道に、この小説の現実を思い出しました。

もうひとつの小説は、イーユン・リーの『千年の祈り』(A Thousand Years of Good Prayers)です。北京生まれの北京育ちである著者は、中国最難関の北京大学を卒業後渡米し、アイオア大学で免疫学を専攻したあと作家に転身しました。文壇デビューの短編集(10編)であるこの本はアメリカ国内の文学賞を数多く受賞し、いまや彼女はアメリカでもっとも注目されている新人作家です。

1989年の天安門事件のとき17歳だった彼女は、自由に自分の意見が言えない環境のなかで、英語という新しい言語を手に入れるや、その中国にこだわり中国人の物語を書き続けています。次回作は、文化大革命直後の中国を舞台にした長編になるといいます。いまから楽しみにしています。

外国語で書くという作業は、亡命先の大言語で国際社会に発言する機会を与えたり、リーのように、英語という武器で中国社会を見直すきっかけにもなっています。受験英語を越えてことばの重みを考えてみたいものです。