茗渓予備校通信KIRI
2009年10月号
プログレスの生みの親であるフリン先生の思い出
皆さんが使っている『プログレス』の著者のフリン先生が、今年の2月にお亡くなりになりました。すぐにお知らせしようと思いながら今になってしまいました。
1993年の暮れ、当時島根県津和野のカトリック教会主任司祭であられたフリン神父のもとをプログレス取材のために訪れました。森鴎外や西周で有名な津和野の地で、なかなか東京に出てこられないロバート・M・フリン神父と日英語の比較研究で造詣の深い長谷川潔先生(元お茶ノ水教授)との鼎談を初雪の舞う津和野カトリック教会で実現することが出来ました。当時の詳しい内容は、教育通信『めいけい』66号に掲載されています。
鼎談が終わったあと、津和野の町をかなり古びた自動車であちこち案内していただいた(地元の人からは暴走族といわれているとか)ことが思い出されます。フリン先生の教え子たちが編集した『ロバート・フリン あるカトリック神父の足跡』(2002年)の中に次の一節がありました。
「彼には二つの顔があった。あるときは不屈の精神と誰をも包み込む包容力を持ったフリン神父であり、あるときは飽くなき向上心と激しさを持った英語教師、フリン先生であった」と。私にとっては、誰をもこばまない心優しい好々爺でありました。