茗渓予備校通信KIRI
2011年7月号
ゼミの窓
『漢字が日本語をほろぼす』(田中克彦 角川SSC新書)という刺激的な本を読みました。小学校の国語の授業の大半は、この漢字の学習に当てられていることは日本人ならだれしも経験していることです。その漢字が日本語を滅ぼすとしたら、これはえらいことです。自殺行為に等しいことをやっていることになりますから。
日本人がいやおうなしに開かれていくにしたがい、外国人が日本語を学ぶのに要する苦労(とくに漢字の学習)が障害になって、いよいよ言語的に孤立状態におちいっていくとゆうわけです。東南アジアの人たちが看護師の免許を取るのに、「誤嚥」(ごえん)だの「褥瘡」(じょくそう)だのという漢字が読み書きできないから不合格になっているというはなしは有名です。私も、国立劇場で上演される浄瑠璃の英語通訳をしていたリンダ嬢(アメリカ人)といっしょにアメリカや日本の作品を扱った読書会を開いていたことがありますが、語学の天才かと見まがうばかりのリンダさんが、漢字だけはせいぜい200語がやっと書けるだけよ、と嘆いていたことを思いだします。当時、紀文の社長秘書もしていて毎朝社訓を社長たちと一緒にとなえるさいに、笑いがこみあげて仕方なかったと話していた。
著書は、ことばはなかなか変えられないが、文字は長い時間をかければ変えられるという。ヨーロッパのことばはほとんどがアルファベットです。隣国のハングルも15世紀に作った文字です。日本語も100年150年という努力をかければ、ひらがなやカタカナで立派な日本語を表記できるというわけです。でも、これは今の文化人たちには受けない提案でしょうね。
受験英語を教えていて、日本語のことをいろいろ考えています。