茗渓予備校通信KIRI

2015年10月号

文系学部改革にゆれる国立大学—本当に文系学部はこれからの日本にとって不要なのか—

ことの発端はこうだ。文部科学省は下村大臣名で今年の6月8日、「国立大学法人等の組織及び業務全般の見直し」のなかで、以下のような通知を国立大学に対して行った。
「ミッションの再定義」で明らかにされた各大学の強み・特色・社会的役割を踏まえた速やかな組織改革に努めることとする。特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする。
メディア各紙はさまざまに反応しているが、うらに経済界からの強い要請があるかのような世間の誤解を避けるためか、経団連自体が安易な今回の文科省の通知に反対声明(9月9日)を出した。人文社会科学を含む幅広い教育の重要性として、
今回の通知は即戦力を有する人材を求める産業界の意向を受けたものであるとの見方があるが、産業界の求める人材像は、その対極にある。
とぶち上げている。対極にあるものとは、<地球的規模の課題を分野横断型の発想で解決できる人材>を日本の教育に求めるというものだ。さらに、学長のリーダーシップによる主体的な大学改革の実現を強く求めている。この辺りは、実は、文科省の考えとなんら変わるところはない。

文科省は国立大学に予算(=運営費交付金)を配分する権限を持っている。通知を受けた大学は、即行動を促される。たとえば、経済と教育の2学部体制の滋賀大学(佐和隆光学長)は両学部の定員を減らし文理融合の「データサイエンス学部」を2017年度に新設するという。たしかに少子化で教員数は徐々に減らされていくだろう。戦後、駅弁大学といわれたようにどんどん大学を増やしてきたツケが回ってきた格好だ。先月号でも触れたように東京芸大はこの7〜8年で芸術系離れが進み、宮田学長は明治の開学以来の改革に取り組むと言っている。

確かに、競争意識を失った組織は淘汰されるであろうが、金・資本を生み出す実学だけが国力ではないはずだ。文理のバランスのとれた知力を鍛えていくことが実学の本道ではないだろうか。

地方の国立大学に「地域」を冠した学部が次々に生まれている。個々の大学自身が、地域とのつながりのなかから問題解決にあたるシンクタンクとしての役割に気付き始めているのかもしれない。それにしても、先進国の中で文教予算が際立って低い日本の現状はなんとかならないものか。次の文科大臣にはがんばってほしい。