茗渓予備校通信KIRI
2023年 11月号
わかる・ワカル・WAKARU?
- 「数学がわかんない・・・」
- 「物理がわからない・・・」
ひと言で「わかる」と言っても、意味は様々です。「何が分かって、何が判らなくて、何が解っているのか?」じっくりと考えてみましょう。
まず「分かる」ですが、「分類できる(区別できる)」と言い換えることができるでしょう。例えば、縁もゆかりもない分野の事物を見せられて、最初は、どれがどれだか区別できないでしょう。
友人の家に初めてお邪魔したら、2匹の同種の犬さんを飼っていました。
- 飼い主である友人は、区別がつきます(当然)。
- 初対面であるあなたは、区別がつきません(これも当然)。
- 「こっちのヤンチャな方がポチ」で「こっちの引っ込み思案な方がジョン」とか、
- 「こっちの若干大きいほうがポチ」で「こっちのスリムな方がジョン」とか、
- 「こっちのやや黒い方がポチ」で「こっちの色の薄い方がジョン」とか、
日々の学習もこれに似たところがあります。おそらく例えば数学の「ベクトル」の初学者または未学習の生徒さんに、複数の「ベクトル」の演習問題を見せたとして、それが「位置ベクトル」に関わる問題なのか?「ベクトルの内積」に関わる問題なのか?区別はできません(当然)。おそらく「やたら、あちこちに矢印(→)のついた数学の問題だなぁ」くらい感想で終わるでしょう(これも当然)。しかし、いざ本腰を入れて、ベクトルの学習を進めていくうちに、区別できるようになります。この「区別できる」「識別できる」「分類できる」ことが、「分かる」の第一歩です。
さりとて、「区別できる」ようになったから、すぐに問題を解けるようになる訳でもないのです。
しばしば、演習中、必死に数学や物理の公式や定理・法則を必死に見直して、苦悶する生徒さんを見かけます。まず、必須の学習事項である定理や公式は、完全に憶えておきましょう。学習の必須事項である定理や公式は、頭の中に入っていることが、大前提です。それらを憶えることが、問題演習への参加条件みたいな面もあります。それを憶えることなしに問題に挑むのは、「武士が刀を持たず戦に赴くようなもの?」現代風に言えば、野球の試合で、「バッターがバットを持たずに打席に向かうようなもの」です。
そもそもバットも持っていないのに、「何でホームランを打てなかったのかなぁ!」と嘆いている選手がいたとしも、周りから見ると、それは至極当然の結果ですよね。幸いバットは目に見えるモノなので、「バットを持った方がいいよ。」と周りから的確な?アドバイスを受けるはずですが、あいにく、公式を憶えているか否かは、周りからは見えない(頭の中の)モノなので、しっかりと自己責任で憶えておかなければなりません。
必須学習事項である定理や公式は、当然、憶えておくこと。これが第一歩です。
しかし残念ながら、問題には、
- 「公式を憶えていないから、解けない(逆に言えば、公式を憶えればすぐ解ける)」問題と、
- 「公式を憶えていたとしても、そこからさらに一歩、工夫しないと解けない」問題
- 「自分が公式を憶えていないから解けない」のか?
- 「憶えていたとしても、工夫や発想が足りないから解けない」のか?
「判る」には、「判定が付く」「判別ができる」と言い換えることができます。上の例では、「自分が公式を憶えていないから解けない」「公式を憶えてはいるが、発想力・工夫の面で解けない」と「判る」ことを示しています。ご自身の現状を「判る」ことで、ご自身のやるべきことやご自身に足りないことが明確になり、しかるべき打開策や、的確な改善策を練ることができるようになります。
最後に「解る」ですが、「分解する」「理解する」と言い換えることができます。これが「わかる」の最上級です。「分かる=分類できる」や「判る=(白黒)判定する」を超えて、事物の奥深い仕組みや成り立ちまで、理解している様子を意味します。例えば、三角比の相互関係式を見て、かの有名な『三平方の定理』をイメージできれば「解った」ことになるでしょう。数学や物理の教科書には公式が沢山載っています。そして、その公式の証明も必ず載っています。公式自体を憶える事が、必要最低限の「わかる」への第一歩ですが、その公式の導出や背景まで憶える事が、真の「わかる」の領域へ皆さんを連れて行ってくれるでしょう。