(1) willとshall
willは「人間の意志」、shallは「神(=God)の意志」だ。古英語のsceal「義務」に由来し、「~しなくてはならない」の意となった。owe / oughtの成り立ちと似ているが、義務を課すのは「上位者・法律・神・運命」など。つまり「神が命じているから~しなくてはならない」ということである。
I shall return.「私は必ず帰ってくる」という「ダグラス・マッカーサー」の名言がある。大東亜戦争当初、日本軍の破竹の進撃によってフィリピンを追われた彼が残した「予言」である。そして歴史はその通りになった。レーバンのサングラスにコーン・パイプを気障(きざ)にくわえたマッカーサーが、3年半の後には厚木基地に降り立つこととなる。shallが使ってあるのだから背後には当然「神の意志」がある。「私は必ず帰ってくる。それは神のご意志でもあるからだ。」ということだ。辞書を引くと「おごそかな予言」などと書いてあるが、それだけでは何のことかさっぱりわからない。これがI will return.では全然怖くないわけだ。しかし英文法の参考書などに「神」などと書くと、いかがわしい新興宗教しか頭にない日本人は「う⋯」と「ドン引き」してしまう。だから書きたくても書けないのだ。しかし「宗教」つまり相手民族の「死生観」を抜きにして、その文化を理解することなどできるはずがないのである。では今まで意味不明だったshall / shouldの表現を一斉に再確認してみよう。shouldは言うまでもなくshallの過去形だが、それは「仮定法過去」つまり「現在」の意味で、「控え目」になっただけのことだ。主語の背後にすべて「神の意志」が隠れている。
- What should I do ? 「何をすべきだろうか?」⇒神は私に何をさせようというのか?
- Shall I help you ? 「お手伝いしましょうか?」⇒神が「助けなさい」と仰っています。
- Shall we dance ? 「ダンスしませんか?」⇒神が「デートしなさい」って言ってます。
- In case it should rain, ~「もし雨が降るといけないので⋯」⇒神が雨を降らせるかも⋯
- If he should come, ~「もし万が一彼が来たら⋯」⇒神が彼をよこすかも⋯
- It is natural that he should get angry.「彼が怒っても当然だ。」⇒神が彼を怒らせるかも⋯
- I insisted that he should pay the bill.「彼が勘定を払うよう主張した。」⇒神も「払え!」ってさ。
さらにちょっと古いshallの使い方も書いておく。Shall we ~?/ Shall I~?は1人称だが、2人称・3人称では「発話者(=私)の意志」を表す。無論「私の意志」=「神の意志」である。
- You shall die.「あなたが死ぬように私がしてあげよう」⇒「殺してやる!」= I will kill you.
- He shall come.「彼が来るように私がさせよう」⇒「彼を来させるぞ!」= I will make him come.
最後に「We Shall Overcome」という曲がある。「アメリカ公民権運動」の時代の流行歌だ。JFK(ジョン・フィッツジェラルド・ケネディー)やRFK(ロバート・ケネディー)、マルチン・ルター・キング牧師の生きた時代である。いい曲だから是非聞いて欲しい。「ジョーン・バエズ」という女性歌手のバージョンがお薦めだ。別に美人だから⋯というわけではないが⋯。
(2)dare「敢えて~する」
古英語ではdurran「試みる」に由来し、さらに印欧祖語では「恐れる」の意味だとされる。見る影もなく変わり果ててはいるが、古代ギリシャ語ではθαρσω[タルソー]となる。さてこれなら日本人にも馴染みがあろう。「暴れん坊将軍」などで家臣が「上様!恐れながら申し上げます!」などと使う。doやneedと同じく「動詞」としても「助動詞」としても使われ、dare to do「動詞」/ dare do「助動詞」という形を取る。疑問文ならDo S dare to do? / Dare S do?となる。How dare you~?「よくも~できるな!」とI dare say ~.「多分・おそらく」以外、受験英語では今はほとんど見られなくなった単語だが、「助動詞」の締めくくりとして載せた。教養の一環として覚えておく方がいいだろう。
(3)「シュワ」について⋯
別に「ウルトラマン」でも「ターミネーター」でもない。アルファベットのeを逆立ちさせたような発音記号 ([ə])のことだ。発音記号の至る所に登場する。これをschwa「シュワ」と呼ぶ。この記号を見たら「ア・イ・ウ・エ・オのどれにも聞こえる曖昧な音」を発音してやればいい。「おかしな名前だな⋯」と違和感を持たれた方は流石である。この単語の起源は「古代ヘブライ語」にあるのだ。まずはヘブライ語を簡単にご説明しよう。
古代ヘブライ語のアルファベットは22文字から成る。すべて「子音」である。「え?子音だけでどう発音するの?」と思われるかも知れないが、心配ご無用。その文字の下や左(『右』は無い)、あるいは上に「点」や「横棒」のような小さな記号を付けて母音を表現する。例えば מ [メム]という文字がある。英語のmである。この下に例えば「T字」のような記号を付けると[マ]となり、「点」を横並びに2つ付ければ[メ]と発音する。最近はニュースでへブル文字を目にする機会が増えた。だがその際諸君らが目にするへブル文字に、母音記号(これを『ニクーダ』と呼ぶ)は付記されていない。ヘブライ語のネイティブであれば、母音記号無しでもちゃんと読めるからだ。日本人が漢字にいちいちルビをふらないのと同じである。ただ流石に時代とともに、母音記号がないと読めない世代も増えてきた。このままでは「旧約聖書」を後世に伝えることができない⋯と憂慮した先人たちが、母音記号を付記する⋯という困難な作業に取り組んだ。2500年前に書かれた「旧約聖書」を筆者が何とか読んでいけるのも、この「母音記号」のお陰である。尚ユダヤ教の「神」の名(YHWH)を、昔は「エホバ」と読んでいた。「エホバの証人」などという宗教もある。だが今では「ヤハウェ」だ。これもそもそも母音記号が付されていなかったので、当時何と読んでいたのか分からなかったのだ。ただ「モーゼの十戒」の第3戒に「神の名をみだりに唱えてはならない」とある。故にたとえ「ヤハウェ」と書かれていても、読む際は「アドナイ」と読む。「我が主(しゅ)」という意味だ。
またヘブライ語は英語などとは逆に、「右から左」へと書いてゆく。最初は筆者も眩暈(めまい)がした。ではなぜ「右から左」なのか?古代は石板に「ノミと槌(つち)」で文字を刻んでいた。当時も「右利き」が多数派だから、ノミを左で持ち、右手で槌を握って振り下ろしたからだ。やがて「ペンと紙」が主流となると、「右から左」では書きにくくなった。「ガリガリ」と、ペンが紙を抉(えぐ)ってしまう。「動摩擦係数」が大きくなりすぎるのだ。そこで「左から右」へ筆記するようになった。随分へんてこな言語である。だが「上には上」がいる。古代エジプトの「ヒエログリフ(神聖文字)」は「左⇒右」「右⇒左」「上⇒下」が可能である。我らが「日本語」も同様だ。戦前の新聞は「右から左」に印刷されていた。
さて「シュワ」にもどる。ヘブライ語では「シェバ」と言い、文字の下に、2つの点を、今度は「横」ではなく「縦」に打つ。するとやはり[エ]の音になる。ただし軽い[エ]だ。「半母音」だからアクセントが来ることはない。だがこの発音する「有音シェバ」に対し、発音しない「無音シェバ」というのもあり、ややこしい区別が決められている。「語頭の文字のシェバは有音で、それ以外は無音」だの、「シェバが2つ重なったら、前が有音で後ろが無音」などなど⋯だ。実に面白い。受験生諸君も、大学に入ったら古代語を何か1つやっておくといい。「そんなのやったって、何の役にもたたないじゃないか!」という人が一定数いる。愚かである。「すぐに役に立つもの」は「すぐに役に立たなくなる」のだ。
מָ[マ] / מֵ[メ] / יְהוָה[エホバ]⇒[ヤハウェ]⇒[アドナイ] / תְּ「シェヴァ」の例・語頭なら[テ]
