今回は先日の「秋の大学受験セミナー」でもお話しましたTEAPに関して書きました。「Test of English for Academic Purposes」の略称です。上智大学のある先生と、英検協会がタッグを組んで4年の歳月をかけて作り上げた英語の試験で、いわば英語教育における「大学入試制度改革」のような試みとか。ネットでは「TEAP 英検」で検索できます。興味のある方はお調べ下さい。
根底には「これまでの英語教育では世界に通用する人材を育てることは不可能」という考えがあります。従来の「Reading」・「Listening」・「Writing」に加えて「Speaking」にもかなりの比重をかけているところにこの試験の革新性が見てとれます。「Writing」は国立2次試験のエッセイなどで従来の入試にも一部取り入れられているのですが、流石に「Speaking」は前代未聞です。現在の高2の生徒さんが受験する年から上智大学で一部導入し、ゆくゆくはすべての大学に広げてゆく計画とか。この試験は得点の優劣を競うものではなく、あるボーダーを決めて「それをクリアすれば英語の試験は免除。ただしそれ以上どれだけいい点数を取っても合否には影響しない。」といいますから「2次に影響しないセンター試験の足切り」を想起すれば間違いないでしょう。これは英検やTOEFLのように年数回実施し、「註1もっとも高い点数を申請できる」というものです。「一発勝負で将来が決まるなんて不条理だ!」という昨今の「大学入試制度改革」をなにやら彷彿とさせる発想です。
まだこれは「試案」の段階ですから全貌を見てから判断を下すべきでしょうが、全国の大学にこれを強制するのは(国が関与しても・・)難しいと思います。「Reading」だけはネットにアップされているので概要はつかめるのですが、「帰国子女でもない限り時間内にはまず終わらない。」という分量です。内容は「TOEFL・英検・センター試験などの折衷案」といった形式。内容的にはそれほど難しくはないのですが、60問で70分ですから(センターは50問で80分)それこそ「秒単位」で仕上げていかねばなりません。上位大学のみでの使用であれば問題ないのですが、受験生全体にこれを敷衍することは不可能です。英語の苦手な子達も全国には大勢いるのです。マーク式試験の危険性は、「適切な難易度を設定しないと点数が逆転現象を起こす」という点です。「鉛筆転がした方が点数が良かった。」というやつです。また「Speaking」は「採点」が難しいので、「どう公平性を担保するか」が大きな問題になります。何をもって評価するのか。「きれいな発音」か。「話の中身」か。「文法・構文の完璧さ」を競うのか。英語は今や世界中に広がり、到底同一言語とは思えないような多様性を呈しています。また北海道から九州・沖縄まで、「同一の基準でジャッジを下せるのか?」という問題も残ります。試験のたびに膨大な数の「ネイテイブ・スピーカー」が必要になるでしょう。しかも彼らがアメリカ出身か、イギリス出身かで大きく印象は異なってきます。これも大学入試制度改革の「人物評価」発言と重なります(これは次号で取りあげますが・・)。英検でも2次試験(面接)で、「おや?」と首をかしげることがたまにあります。できる子が落ちて、できない子が合格しているのです。しかしこれも仕方のないことです。いかに細かく採点基準を決めたとしても、日本全国津々浦々まで完璧に公平な面接を行なうなど不可能です。確かにTOEFLはすでに「Speaking」も取り入れて試験を行なっています。註2iBT(Internet Based Test)ですが、TOEFLは飽くまで「資格試験」であり、入試に使われるといってもそれは「アメリカの大学に入学を希望する学生」のためのものですから「アメリカ人」が採点官で構わないわけです。しかしこの「TEAP」は紛れもなく「日本の大学に入るため」のものなのです。「こんな曖昧な基準で一生を決められたらたまらない!」という声が噴出することは火を見るよりも明らかでしょう。クリアすべき課題はあまりに多いと言わなくてはなりません。「では我々はどうすれば?」ですが、結論から申し上げれば「やるべきことはこれまでと変わらない」ということです。「Listening」は言うに及ばず、「Writing」も「Speaking」も英検ではすでにお馴染みとなっています。それが若干「難しくなる」というだけの話。皆さんにとってはむしろ「有利に働く」とすら言えるでしょう。
註1何やら結構なシステムに聞こえるが、自分がベストの点数を報告できるということは「相手もベストの点数を出してくる」ということだ。「一発勝負は不条理」かも知れないが、相手も条件は同じ。自分の身長が10センチ伸びても、相手も10センチ伸びたら結果は変わらない。「ユートピア(Utopia)」とは「どこにもない(ut)場所(topos)」というトマス・モアの造語(ギリシャ語)だ。
註2パソコンに向かって答を入力する形式の試験らしい。もしTEAPでもこの形式が採用されるとなると、「英語力」よりも「入力スピード」が合否を大幅に左右することになる。自宅に自前のパソコンを持っている人が圧倒的に有利。つまり「貧富の差」が学力に反映されるということだ。この点でも物議を醸しそうだ。
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