「fact(事実)」とは:
a piece of information presented as having objective reality
Oxford English Dictionary
That which is known (or firmly believed) to be real or true; what has actually happened or is the case; truth attested by direct observation or authentic testimony; reality
のこと、つまり客観的現実として提示される情報、あるいは客観的現実そのもののことです。事実は普遍的(universal)で誰にとっても同じであり、その真偽は観察者の持つ価値観や信念などにより影響を受けません。
例えばリンゴが木から落ちる「落体の法則」の現象を観察すれば、誰もが同じ規則性でリンゴが地面に向かって落ちる様子を見ることになります。見る人によって落ちるスピードや方向が変化することはありません。同じ場所にいるのであれば、Aさんにとっては重力加速度が9.8だけどBさんにとっては1.6になるというようなことはありません。いくらBさんが「落体の法則なんてウソだ」と固く信じ「俺は空を自由に飛べるんだ!」と叫んでビルの屋上から飛びだしても、それはかないません。きっちり落体の法則に従って落下し墜死することになります。仮に今から100億年後、この世から全人類が滅亡して誰もいなくなってしまったとしても、つまり「見る人」が全く存在しなくなったとしても、この法則は事実としてあり続けます。事実は、誰が何をどう考え感じようと、関係ないわけです。
これに対し「opinion(意見)」とは:
a view, judgment, or appraisal formed in the mind about a particular matter
Oxford English Dictionary
What or how one thinks about something; judgement or belief
のこと、つまり、ある特定のことに関するその人個人の見解(例:「五科目平均点超えてるし、いい調子だ!」)、評価(「トランプは実に有能な大統領だった」)、判断(「こいつ犯人だな、この顔は絶対やってる」)、嗜好(「ここのプリンは絶品だ!」)のことです。意見は主観的(subjective)なものであり、人それぞれで変化します(例:「うちの学校レベル低いから定期試験も簡単だし、平均ちょい越えで満足はできない⋯」「トランプ政権は悪夢のようだった」「イケメンなんで無罪」「50円のプッチンプリンとたいして変わらない味なんだけど⋯」)。意見は、それを持つ特定の人が存在することが前提となります。事実に所有者はいませんが、意見には必ず所有者がいます。
一般に、価値判断が暫し介在する意見は「~すべし(ought、あるいはshould)」の形で表すことができ、それに対し客観的な事実を述べる際には「~である(is)」の形を用います。テストで良い点数は「取るべき」点数であり、おいしいプリンは「食べるべき」ものであり、重要なお知らせは「知るべき」情報です。これに対し、A君があるテストで取った点数が「80点である」こと、あるプリンの含む糖質量が「20gである」こと、ある休講告知に書いてある通り明日の講義が「お休みである」ことは、それぞれそれだけの事実です。その事実を各個人がどう捉えどう行動すべきであると考えるかはその人次第で、また別の話になります。
このブログでも、「オピニオン」タグが付いた記事は執筆者個人の見解を表しているものになり、文責ものその執筆者個人に帰する形になります。
「事実」に関する意見
意見は、①味の好みや美醜などの明示的に主観的な価値判断(例:「豆ご飯はおいしい」)だけでなく、②ある「事実」とされる事柄についても持つことができます。例えば、その昔、地球の形が球ではなく平面だと、巨大なカメの上にゾウが数匹乗っかっていて、さらのその上にお盆のように地上があると考える人たちがいました。無論、事実(現実)としては地球の形は何十億年も前から変わらず同じままなわけですが、地球の形が球と考える人と平面と考える人とが以前にはいて、「意見」がわかれていたわけです。それぞれが自分の「意見」が「事実」だと主張していたわけですが、より精度の高い観測器具の発展や人工衛星からの写真などにより、この意見の相違は決着が付きました。このように「自分の言うことはあくまで事実である」とその主張する人自身は無論そう固く信じているわけですが、必ずしもそれが「事実」であるという保証はありません。反対者の有無や支持者の多寡も主張の事実性を絶対的に担保するものではありません(ガリレイが地動説を説いた当時彼は少数派でしたが、そのことをもって彼の主張が事実に反するものになるわけではありません)。
事実は何らかの「文」の形で、ある「人」により提示される必要があります。例えばある文章中に「Xは北海道の森林や原野に生息する」と書かれていた場合、その生物種Xが本当にその地域に存在するならその存在すること自体は事実になりますが、このように文として表した時点で、それはまずその文を書いた人が事実であると信じることになり、それが本当に事実かどうか、その筆者の事実認識が本当に正しいかどうかは、究極には神様でもない限り知りようがありません。同じ「人」としては、その文章外で独自に実地調査を行うなり関連文献をレビューして検証するより他に手はありませんが、無論、英語の長文読解問題を解くのにそこまで求められるわけはありませんので(大学の論文などになれば話は別ですが)、現実的にはその文のその文章内での扱いから判断することになります。
例えば、ある文章中に「私のクラスには30人の生徒がいる」と書いてあったならば、そのクラスにそれだけの人数が在籍していること自体は事実かも知れませんが、それがこの文章中において文として書き表されている限りにおいては、まずそれは「私のクラス」に関する事実について筆者が述べている意見でしかありません。この文が実際に事実を表していると捉えるべきかどうかは、その文のその文章内における扱いに依ります。もしこの文章の筆者が学校を舞台とした小説内の登場人物という設定で、彼に対し「いやいや、生徒名簿見てみな、28人しかいないし...ボケてない?」などと突っ込むクラスメートが存在するのであれば、これは意見と捉えるのが妥当です。もし筆者が学級委員長という設定でこの文章が校長先生に向けて彼が書いた意見書という体裁のものであれば、まず事実と捉えて間違いないでしょう。この学級委員長の筆者が実は記憶喪失で生徒数を誤認していたというような可能性までは完全に排除することはできませんし、そのように疑い続ければキリがありませんが、長文読解問題の設問に対する答えとしてはあくまでその文章内でのその文の扱いから判断するだけで十分です。
「意見」に関する事実
逆に「意見に関する事実」というのもあります。ある種の人々が「地球は球形ではなく平らである」という、地理分野における事実に関する意見を持っていたということは歴史的な事実なわけです(...実はこういう主張をする人たちが現在も存在していたりします)。つまり、ややこしいですが、これは「事実に関する意見に関する事実」になります。
トムが「このプリンは美味だ」と思っていたとしたら、それは彼がプリンに関して持っている意見です。彼がそう思っていること自体は、トムという人間の嗜好に関する事実になります。また、彼が自分の意見を口に出して「私はこのプリンは美味だと思う!」と言ったとしたら、この自身の意見を口頭で表明したという行為の遂行もまた事実になります。
「この数学の問題は難しい」は、意見です。世の一般的な受験生にとっては難問であっても、東大理III受験生にとっては至極簡単な問題かも知れません。これに対し「数学の教師が定期試験の難易度を前回よりも上げた」は、事実になります。数学教師が難易度を上げた結果、その定期試験が難しくなりすぎすぎて大半の生徒にとって及第点を取るのすら困難になったとしても、数学が得意な生徒であればそれでも楽勝で満点を取ることができるかもしれません...が、いずれであれ、難易度が前回の定期試験と比べて相対的に上昇したということ自体は、まぎれもない事実になります。
英語の長文読解問題中に出てくるfactとopinionの判別法
では、実際の英語長文読解問題において、本文中の記述や設問の選択肢文がfact(事実)であるかopinion(意見)であるかを判別するには、どうすれば良いのでしょうか? おおまかな目安としては、その内容に関して、本文中で言及されている人物(および本文中では直接言及されてはいないが他にも存在するであろう同様の人物)が全員同じように考えるようなものであればそれはfact、人により異なる(可能性がある)ような場合はopinionであると言うことができます。
例えば、ある映画に関して「The film is very interesting.(その映画はとても面白い)」と書かれている場合、それがいかに世間で大人気の映画であれ、それを面白くないと感じる人が少しでも存在しうる以上これはopinion(意見)になります。これに対し「The film scored 95% on Rotten Tomatoes.(その映画は映画評論サイトRotten Tomatoesで95%の高評価を得た)」という文は、世の映画評論家の多くがその映画をそのように評価したというfact(事実)を述べるものです。各評論家の評価自体は意見であっても、そうした意見を彼らが述べたということ自体は事実(つまり上述の「意見に関する事実」)であり、これに対して異論のある人が文章中に登場してこない限りにおいてこれはまず事実だと言えます。
万が一、実はこの映画が獲得したスコアが20%だったのに「その映画、Rotten Tomatoesで95%だったよ!」とウソ発言をした人がいたというような話の展開になってきたなら、事実ではなくなる可能性も出てきます。しかし、この「事実を疑う」ようなケース(つまり上述の「事実に関する意見」)になる可能性に関しては、本文中にそのような記述が明示的に無い限りは考慮する必要はまずありません。
「fact(事実)」か「opinion(意見)」かの判定は、あくまで本文内の記述のみを元になされます。本文中に記載のない、解答者が持つ科学や社会一般に関する背景知識に依拠するような判断が必要になることはありません。
英語での関連表現
ある内容を自分の意見として表明する場合、あるいは自分の個人的見解であると特に断って記す際には、「In my opinion, ....」(DUO32049、タゲ熟語0377)や「My opinion is that....」などの表現を用いることができます。
ある内容が事実だと主張する場合には、「It is a fact that....」「It is true that....」「It is the case that....」などを用います。
「in fact」(タゲ熟語0081)は「実際、⋯」「実のところ、⋯」の意で、 前出内容を補足・強調する際に用いる表現になります。
- opinionated=自説を曲げない、意固地な。Someone known to be passive may become opinionated.(従順だった人が意固地になることがある。)
- opinion leader=世論指導者。
- de facto=事実上の。He is the country's de facto ruler(彼がその国の事実上の支配者だ。)⇔de jure(正当な)。
- ex post facto=事後の、過去にさかのぼった、遡及的な(retroactive)。