どうして古文が読めないのか?
古語も文法もしっかり覚えたのに、文章になるとどうもわからない。よく見ると覚えたはずの単語もたくさん混じってる。 知ってる助動詞もあっちこっちに出てる。それなのに意味が追えない。こうかなと思って読んでいくと、結局人物を完全に取り違えてたり、大きく話がズレてしまってたり。 そんな人結構多いですよね。
その原因は主語が分かっていないから。参考書などを見ても「主語の把握」という項目は全くと言っていいほど載ってないですね。高校でもあまりそういうことを教えてくれる先生はいないようです。でも、主語がつかめなければ、結局文章は読めないですよね。そもそも、日本語は英語などと違って主語がなくても成り立つ言葉ですから、普段の会話でもあえて主語を示さず話していますし、 目にする文章も自明な主語は当然省略された文章です。そのためか、文法と古語さえ覚えれば、同じ日本語なんだから読めるはずと考えられているようです。
本当にそうでしょうか。どうもそうではないようです。主語の捉え方を意識して練習するのと従来どおりの学習法のままとでは、やはり習熟度はかなり違うようです。主語の考え方を意識して読む場合、とくに中堅クラスの実力の生徒の伸びがめざましく感じます。そのようなわけで、文法や古文常識を踏まえた上で主語の捉え方を意識して学習することが効果的だと考えます。(茗渓コーチングシステムでは、すべての単元が主語の把握、文章の読解を主眼として、「自分で文章が読めるように」を目標に授業を構成しています。)