KTさん
進学先:
早稲田大学 政治経済学部 国際政治経済学科
6年前、算数も国語も苦手だった僕は最初の中間考査の数学で撃沈…。これは数学の塾に通う必要がある、ということで見つけたのが若渓でした。中学では学校に沿った予習用のテキストをひたすらやるだけでしたが、目も当てられない状態だった数学の成績は、おかげ様で何とかなり始めていました。帰国子女の僕は、これで英語の成績が存分に活き、高校では特別進学コースに入ることができました。特進は優秀な人ばかりで、成績や意識の面で僕はだいぶ劣っていましたが、この中でやっていけるよう学校や著渓で頑張れたからこそ、難関大を目指そうと思えたのだと、今になって思います。
受験校を決めたのは部活や課外活動などが終わった高2の3学期。今振り返ると遅かったのかなあと思ったりもします。担任には「富田だけはまだ決めてないね」なんて言われ…。しかも選んだ第一志望は東京大学でした。さあいよいよ!と思ったら今度は新型コロナで学佼が休佼になってしまいました。3月は茗渓で、苦手だった世界史の映像授業を視聴して有意義に使えていたのですが、4・5月は本当にしんどかつたです。人に会わず授業はなく実力を測るテストもなく…。勉強は効率が悪かったです。そして急に物事が動き始めた6月、久々の模試で東大E判定。実は高2までは、英語でかなりのアドバンテージを得ていた一方地歴がなかったので、割といい成績でした。「高3では今まで通りにはいかないぞ」と先生にも注意されていたのですが、見事にやらかしました。その後は必死でした。毎日時間が変わる学校、「オンライン動画見たよね」で片付く授業、最後の追い上げには短すぎる夏休み…。地歴や古典はまだまだ知識が浅く、現代文や数学も東大レベルではお手上げ状態。ちょっと実力がついても出来にばらつきがあり、模試判定もC・Eでした。そんな中、先生は僕の成績を冷静に分析して、的確なアドバイスを送って下さりました。そうしたこともあり僕は志望校を変えずに臨みました。 共通テスト直前、僕はとにかく「間に合うのか」ということで本当に、本当に不安でした。地歴と理科基礎がまだまだ酷かったのです。あまりに一杯一杯だったことで、日常生活でも普段しないようなミスを多発するようになり、先生に怒鳴られたこともありました。そんな共通テストの結果はギリギリセーフ。そのまま二次へ行くことにしました。
転機が来たのはその直後。やっとのことで意味不明な現代文や古典の文章が読めるようになり、数学が目標点まで行けるようになりました。このイケイケムードで突き進み、早慶上智は全勝することができました。厳しいと思っていた早稲田の政経に合格した時は本当に嬉しかったです。そして東大。結果は…不合格でした。受かったように書いてました。すみません。国・数が思ったように点数を取れず、やはり天下の東大には火事場の馬鹿力は通用しませんでした。
ここまで長々と書いてきましたが、僕はこの繍果に全く後悔していません。周りから、英検や課外活動を活かして推薦を勧められたこともあったのですが、親の「推薦もいいが一般で勝負することに価値がある」という言葉もあり、真っ向勝負を選びました。共通テスト改革やコロナの騒動もありました、めげずにやりきれました。こんな僕を応援し.ここまで連れてきてくださった茗溪の
井上先生には感謝しかありません。そしてこれを読んだ方に希望を与えられるかはわかりませんが、どんなに辛くてもうまくいかなくても、前を向いて挑戦する気持ちを持ち続けてほしいなと思います。
1日のスケジュール
平日(直前・学校のない時)
休日
9:00
勉強(勉強は単語・学校/予備校の予習や復習)。
アンケート
勉強開始動機
高校入学以来、難関国立大学を目指す学校の解特進コースに在籍していたこと。
受験使用科目
英語、数学、国語、地理、世界史、地学基礎、化学基礎。
志望決定動機
もともと小学校の時から政治や経済に興味があった。国際的な活動をする学部に行きたかった。
反省点
受験モードに入るのが遅かった。地歴のとりかかりが遅かった。休校期間の集中力低下。
後輩に一言
ツラいこと、うまくいかないことがあるのは当然。前を向く気持ちを失わないで!!